しがない学生の戯言

興味がある事、趣味などについて学生らしく好き勝手書きます。

最近の音楽と人との関わり方についての考察

 

私は音楽が大好きだ。私の中高生時代は音楽がなければ語れない。お小遣いの殆どをCDやDVD、音楽雑誌に費やしていた。そして今でも様々なジャンルの音楽を聴きまくっている。インディーズもメジャーも関係なく、一度聴いて好きだと思ったものをアップルミュージックでダウンロードして蓄積し、通学の時間延々と聴いている。ライブやフェスによく行く。最近はSoundCloudも使うようになった。音楽ヲタクである。

ある日、私と同じように音楽好きな、中学時代からの友人が私にこんな事を言った。

「最近さあ、バンド好きって言ってても、誰が演奏して誰が歌っているのか知らない人が多いよね」

詳しい話はこうである。私の友人がバンド好きなことを聞きつけて、話しかけてきた子がいた。その子はAというバンドのが好きと言い、私の友人もそのバンドが好きだったので、「◯◯さんのベースってめっちゃカッコいいよね」と言うと、「誰それ?」と返されたと言う。

私はその話を聞いて衝撃を受けた。私はバンドメンバーの名前を、そのバンドの曲を好きになれば絶対に調べるタイプの人間だ。名前に興味があるというより、純粋にどんな人がどんな風に演奏しているのか気になる(演奏が独特であればあるほど名前を覚えやすい。ひなっちさんとか)。専門的な知識は一切ないが、好きなバンドとは別に好きなベーシスト、ギタリスト、ドラマーがそれぞれいる。好きだったバンドが解散しても、そのバンドのメンバーが別のバンドを始めたと聞けばその新しいバンドに興味を持ったりした。他のアーティストのサポートについているのを見て、何故か喜んだりもした。

そんな私からしたら、好きだと言うバンドのメンバーの名前を知らないだなんて有り得なかった。友人も同じだった。私の友人に声をかけた子は、そのバンドの曲を絶賛しているのに、その曲を演奏している本人には興味が無かったのだ。

このような現象は何故起きるのか。理由は恐らく、多くの人々が音楽配信サービスでしか音楽を聴かなくなったから、である。

音楽配信サービスの中にはPVが見られるものも増え、きちんとディスクジャケットが表示されるものが多いが、それを見ているのは全利用者の内どのくらいいるだろうか。恐らくそんなにいないのでは?と私は推測する。違法な無料アプリであればディスクジャケットすら見られず、曲と曲名とアーティスト名しか情報がないものもざらにあるだろう。

要するに私たちは、その曲を演奏している人を見る機会が、音楽配信サービスの普及により格段に減ったと考えられる。音楽番組が減った今、アーティストがテレビに出る機会も少なく、YouTubeで公開されたMVに本人が出ていなければ、いよいよ自分で調べるかライブに行くまで本人の事を知ることはないだろう。そうやっていつのまにか、スピーカーやイヤホンから聞こえる音楽をただの“音”という認識に落とし込もうとしているのではないだろうか。

確かに音楽は音だ。MVやディスクジャケットの良し悪しが、その曲の評価を上回ることはない。その曲が好きか嫌いか、良いと思うか悪いと思うかが最も重要だと思う。

しかし私達が普段音楽配信サービスで聞いている音楽は、“音”だけで完結するようなものではない。そのバンドのボーカルが、ギタリストが、ベーシストが、ドラマーが演奏して初めてこの世に生まれた。打ち込みであろうが何だろうが、音楽は「人間」によって演奏されて初めて創られるものだ。私達が聞けるのは、演奏者が何度も何度も演奏したうちの“たった1回の演奏”のみであるために、その1回の貴重さや労力は非常に伝わり難い。

そしてそれに付随して、その曲を更に魅力的に魅せるためのMVという表現がある。その魅力をもっと引き立たせるためのディスクジャケットがある(ジャケ買いは死語なのだろうか)。MVを創るのにもジャケットを創るのにもお金や時間がかかる。曲だって録音をする為にスタジオを借り、エンジニアなどその他様々な録音に必要な仕事をする人を雇う。CDを作るように会社に発注する。店頭に並ぶまでの工程全てにお金や時間、労力がかかっている。たかが1曲を世に出すために、多くの人間が関わっていることを私達は忘れていないだろうか。

そうして生まれた曲たちを、私達は月何百円かの定額料金を払ったくらいで賄った気でいる。挙げ句の果てにはそんなの知らないとばかりに無料で聴こうとする人までいる。

お金を払えばいいとか、メンバーくらい調べろとか、そんな表面的なことを言いたいわけではない。私が言いたいのは、音楽の側に常にある人間の存在が忘れ去られてしまったが為に、音楽への敬意が失われてしまったのではないか、という事だ。

CDを買って歌詞カードを見てみてほしい。その場にいなくとも、そのクレジットに書かれた人々が働いたから、その薄いCD1枚をリリース出来たという事を感じられるかもしれない。顔まではわからないけど...。

 

カッコいい曲を聞いて、こんなかっこいい演奏をしている人は誰なのか気になる。MVを見てよりその世界観にひたれると、ディレクターは誰なのか調べる。ディスクジャケットがカッコいいとついバンド名やディスクジャケットを作った人をチェックしてしまう。ライブに行って演奏する姿を生で見たい、感じたいと思う。私にも、そのような気持ちは今もまだこの胸の中にある。しかし音楽配信サービスに頼りすぎてしまった私のその気持ちは、中高生の頃より格段に薄れてしまったように感じる。音楽雑誌を読まなくなったのも、きっとそのせいである。人に興味がなければ、その人が幾ら熱く語っていてもその記事や対談を読む気にはならないだろう。音楽雑誌を隅々まで何度も読んでいた頃に比べて、アーティスト本人を認識するのに時間がかかるようになった。こんな偉そうにブログを書いている私も、人が丹精込めて創った音楽を粗末に扱おうとしている。

私達は良いと思った作品や製作者に対して敬意を示しているだろうか?音楽は気軽に手に入るからこそ、お金をかけるほどのものじゃないなんて思ってしまってはいないか?音楽の側にいる人間の存在を忘れてしまってはいないか?

令和という新しい時代の幕開けを迎えた今、音楽との向き合い方をもう一度考えるべきだと私は強く感じる。